きょうはみやぎ県民防災の日
(東日本大震災の時、防潮堤を閉めに行った消防団員さんが亡くなって
しまったことを受けて、自動で扉を閉めるシステムが今日から始まりました。)
宮城県沖地震からもう42年経ちます。当時小学1年生だった私。
自転車で外で遊んでいて、帰宅途中に突然大きな揺れを感じて
自転車を降りて怖くてその場にしゃがみ込んでしまいました。
両親の営んでいた店は本やら化粧品やらが下に落ちていて
店はその日はすぐ閉店しました。
停電で夜になると店は真っ暗。ろうそくの中で家にあるもので
夕飯を食べたことを覚えています。
近所の食料品店は人が沢山並んでいて、尋常ならざる事態が
起こったのだと子供心に思いました。そして、
電気がつくと亡くなった方がいるとテレビで知り驚きました。
当時はブロック塀のおうちが多かったのですが、その下敷きに
なったそうです。その後県では防災対策の一環としてブロック塀の
強化を義務付けしました。
ましだと思いました。その間に県北の栗原のほうでも地震があって、
(岩手・宮城内陸地震と呼ぶそうです。)
予測のつかない自然災害の恐ろしさを感じます。
東日本大震災のときはもちろん電気もつかないしガスもだめ。
お水も出ないのでペットボトルの保存水が役立ちました。
ラジオが頼りで、とんでもないことが起こったことだけは
当日わかりました。翌日河北新報さんが読めて状況がわかってきて、
胸がつぶれそうになりました。もう見出しが大きくって。
伊集院静先生が以前「我々は、揺れる大地の上に住んでいる」と
おっしゃっていました。いつでもその時に備えて生きていけという
ことなんですね。
改めてこの日肝に銘じたいと思います。
読んで下さってありがとうございました。
皆さまもお気を付けて下さいね。