☆れいこさんのお部屋へようこそ☆

宮城のこと、大好きな京都や神戸、大阪、そして読んだ本のこと美味しかったものなどを書いています☆彡(時々美術音楽関係とか)

父が倒れて

先日、三女から父が脳梗塞を起こして入院したと

連絡がありました。その翌日、病院へ行ってみると

ちょうどエレベーター近くの部屋から父の姿が見えました。

意識はあり、私とわかったかは定かではありませんでしたが、

「誰来たかわかる?」と話しかけたのですが、「うん」とだけ

返事をしました。看護師さんにお話しを聞いたところ、

手を動かしてしまうのでとマイルドに説明してくれましたが、

三女によると、暴れたり「家に帰りたい」となってしまうので、

身体拘束といって、手をベルトで固定されていました。

 

プライドが高くて、そういうことを嫌った人でしたが、

もうそんな鎧を脱ぎ捨ててしまったのだと思いました。

そういう姿はなぜか寂しくなってしまいました。

私に気を使って、「身体が自由に動かせない」とこぼして

いました。

三女の話だと、自分の名前も三女の名前も言葉にできなく

なってしまたそうです。きっと、自分の頭の中では当然わかって

いて、それを言語に変換できなくなってしまったのだと思います。

昔、友人に教えてもらったことがあって、「脳の中で字を読む

場所と字を書く場所が違うから、字が読めても、字を書けなく

なるということがある」と。

きっと三女のことも私のことも、わかってはいるし、自分では

おかしくなったつもりはないのでしょうけれど、それで病院で

つい暴れてしまったのだろうと思います。

母も脳梗塞で入院した時、自分はおかしくないと言って病院から

逃げ出そうとして手を固定されていました。

 

そういう姿は悲しくなりましたが、私だけではなく、他の

人もそういう経験をしたことがある人もいらっしゃると思います。

 

父には辛い思い出も沢山ありました。大人になってつい最近まで

会わない日々が何年かありましたが、もうお迎えが近いのだと

思うと、許してやったほうがいいのだろうかと上の子に話したことを

思い出しました。

 

まだ完全に許すという気持ちには至りませんが、それでも、

10才くらいまではまあまあ良好な関係でした。

(実家の商売がうまくいかなくなった頃から私に八つ当たり的に

暴言・暴力が度々あって関係が悪くなってしまいました。)

ただ、子供の頃の楽しかった時をを思い出すと、やはり自分の

納得のいく形で見送ろうかという気持ちになりつつ

あります。

父は弱い人でした。虚勢を張っていたのだと今となっては思います。

母も同じでした。私も年を取ってそういう事を少し俯瞰できるように

なったのかもしれません。

 

帰宅後、YOSHIKIさんが金スマに出た時にエンドレス・レインを

演奏されていたのを見返しました。

「Let me foget all of the hate, all of the sadness」という

歌詞があって、ああそうだなぁと思いました。

不覚にも泣きそうになりました。

 

きっと完全に分かり合うというのは難しいと思います。

でも、どうしてこうなったと考えるとき、私も親として

己の至らない所を考えた時、父の気持ちや立場に思いを寄せた時、

少しは理解できる部分もあれば、それでいいのかもしれないと

今は考えています。

 

読んで下さってありがとうございました。

Endless rain, fall on my heart .